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わかってもらえないさみしさ。
自分とおなじであってほしいということを期待してしまう自分のおろかさ。
ちがうんだそうじゃないんだと言葉にしたいのにできない。言葉にして、わかってもらえるの?先取りして解釈され、こうしたほうがいいんじゃないとか言われるのが苦痛だった。
けど言葉にしなかった自分のせいでもあるからそれがくやしい。ことばにする、アウトプットする能力の低下がすごい。
自分をどんどん主張してくる人が苦手なんだよな。わたしはこう。うちの子はこう。これが大変で。
でも、そんなの主張しなきゃわかってもらえない知ってもらえないわけで、普通のことで、
ただわたしは、相手にそうなの、大変だね、と言える余裕がいまなくて、やっぱり聞いて欲しい側なのだけど、圧倒的に言葉が追いついてなくて、言葉にしたいという気持ちも、伝える自信もなくて、ただ黙っていて、だから、ほんとはもっとわたしの話を聞いて欲しいというのがあるのでしょう。だから、自分の話ばかりしてって思うんだろう。
子どもの年齢が向こうのが低いから、ママ歴が浅いからとか、だからわたしは先輩らしくいなきゃいけないとか、こうしたらいいんだよーとか余裕を見せてあげるべきなのかとか
あーでも少しあるのかな。
わたしの方が先なのに、
とか
わたしの方が楽してるのに、
とか
なにそれそんなのくだらないのにね。
なんか時間を置いて考えたら少しわかったんだけど、
わたしのやや悩んでいるような発言に対して、アドバイスをしなきゃ役に立たなきゃと彼女が思っているらしいこと
自分の話をしないこと(子供の話)
が違和感だったのかなぁ。
そのアドバイスが雑な感じで「もっと〜した方がいいのかもね?」とやや上からだったのが嫌だった。
自分の話をしないのは、余裕がないからなのかもしれません。自分のことを考える時間がないという。それと、そういう習慣になってる。夫や家族、子持ちの友人との会話が子供が〜って報告がメインなんだろうなぁ、それは当たり前のことかもしれない、
でもわたしはあなたの子供のことあんまり興味ないよって思っちゃったんだよね。
自分も子供いるけど夫や夫の家族以外にあまりそういう話をしないなぁと思った。
友達とあったら友達の話が聞きたい。わたしの話がしたい。と思った。
もちろん、それぞれの状況や事情があるから、そのときしたい話なんてお互い違ってしまうんだろうけど。それはしょうがないのかなぁ。