生きやすく

今日考えたこと。


わたしは、とても、自分で生きにくさを作り出してるんだなあってこと。

焦ったり、心配したり、怖れたり

じぶんの領域じゃないことを気にしてそわそわしたり、(美容院で、仕上がりがちょっときになるところがあって直してもらっていたら美容師さんがすごく丁寧に直してくれて、その後のお客さんを15分くらい待たせてしまったのだけど、すごくそわそわした。次のお客さんを待たせることの責任は美容院側にあるのに。)

任せたのに、大丈夫かなって心配になって疲れてしまったり(夫に赤ちゃんを任せて美容院に来たけど、もしぐずったら夫が上手にあやせずイラついてしまうんじゃないかと心配した。そしてもしら帰った時にイラついてたら、なんか自分が悪いことしたみたいな、自分を責めてしまうだろうなと思って不安になる。)


そう、必要以上に自分を責めてる。正確に言うと、責められることを怖れて先取りして責めてる。こう責められるんじゃないか、って想像して不安になって、焦る。

待たせてしまったお客さんに。注文をつけて直してもらった美容師さんに。

子どもを任せた夫に。


そうね。どーしたらなおるかね。

まずでも、気づくことからか。

あ、わたしまた自分を責めようとしてる。って。


あとは、イライラするポイントで、わたしはなにかを我慢していることが多い。

テレビを消して音楽を聴きたい。

テレビの音に疲れた。

そうすればよかったんだ。

夫がお風呂に入ってていないときは、テレビを消せばいいし、

どうしても今はこのテレビは見たくないってときは、言えばいい。


今まで、ずっと我慢してた。

我慢してることにさえ気づかなかった。


すきなことをするには、一人であることが条件だと思ってた。夫がいると自由にできないと思ってた。

夫はわたしがいても自分がしたいことをしてるけど、わたしは、そうじゃなかった。

これも、気づかなかった。

いいんだ、これは嫌だ、これがしたいと言っても。

夫がお風呂に入ってから子どもを渡しに行くまでの時間、子どもをお風呂あがりに受け取りに行くまでの時間、

テレビを消して音楽を聴いてていいんだー。


そのあと、夫がリビングに戻ってきて

たぶん何も言わずにテレビつけるだろうなーって思ってたら、「テレビ見ていい?」って聞いてくれた。

そうか。聞けばいいんだ。

テレビ消していい?音楽聞いていい?

それだけのことだったんだ…


わたしは、本当にこういう普通の思いやりを持ったコミュニケーションが苦手なんだなぁ。そういう家庭で育った。


いまより少しずつ、生きやすくなる工夫たくさん見つけられるといいな。

そんな目で毎日過ごす。